体温計の歴史

公開日2021.08.30

※当コンテンツの内容は2021年7月時点の情報となります。

世界で初めて体温計がつくられたのは、なんと400年前! 現在の形になるまでには、長い歴史がありました。

体温計の歴史

1609年、イタリアのサントリオが世界で初めて体温計を考案

ガリレオによる気体の熱膨張を応用した温度計に触発を受け、世界初の体温計が作られました。蛇行するガラス管の一方を球型に加工し、もう一方を水入りの容器に入れるという単純な構造のものでした。ガラス球を口に含むことで内部の空気が膨張し、管内の水位を押し下げる度合いを目盛りで読み、それで体温を測りました。それまでは手のひらの感覚だけで体温をみていましたが、サントリオは数量的に把握しようとしました。しかし、このときはまだ正確には測定できず、その臨床的意義もあいまいなものでした。

サントリオってどんな人?

イタリアの医学者サントリオは、食べた食物が体の中でどうなるかをつきとめようとして、自分自身をハカリにかけて様々な実験を試みました。彼は大きなハカリに乗って体重を量り、次に食事をとって量り、また自分の糞尿などの排泄物の重さも量りました。その結果、排泄物の重さが摂取したものの重さより少ないことを知りました。また、時間がたつにつれて体重が減ってくることにも気づきました。彼はこの重さの変化を「食物が汗のようなものに変わったため」と考え、「8ポンドの食物を摂取すれば通常、目に見えない発汗量は5ポンド」と説きました。この計量の実験は、科学的近代医学の礎となりました。

病気の診断と体温測定

サントリオの体温計にも目盛りはついていましたが、温度計ごとに勝手につけた目盛りでした。それでも、その温度計を使っていろいろな人の体温を測っていくうちに、正常の人間はいつも一定の体温を保つことに気づきました。これが正確に計測されるまでにはさらに1世紀以上の歳月を要しました。1691年カルロ・リナルディが沸点を見つけ、それまでにわかっていた氷点を基準にして目盛りが作られるようになりました。1714年、ドイツの物理学者G.D.ファーレンハイトが革袋でこした水銀を使った華氏温度計を発明、これを使って体温は華氏96度であることを見つけました。尚、日本でこの温度計を華氏(°F)と呼ぶのは、ファーレンハイトを中国で華倫海と漢字で書いたことによります。体温計が病人に使われるようになったのは、1858年以降のことです。この年、ドイツの高名な医学者カール・ウンデルリッヒが、病気によって熱型が違うことを報告しました。以来、病気の診断に体温測定が不可欠になりました。そのときに使った体温計は、長さ30センチ以上もある5分間計で、取り出すと下がる体温計だったと言われています。

はじめての水銀体温計

1866年、ドイツのC.エールレが水銀体温計を考案

19世紀後半、細菌学や細胞病理学の目覚ましい進歩により、各種疾患の原因が次々と解明。さらに疾患特有の体温曲線も明らかになり、臨床検温の地位が築かれていきました。このような時代背景の中、ドイツのC.エールレによって水銀体温計は考案されたといわれています。

水銀体温計
水銀体温計

日本における体温計製造

第一次世界大戦の影響でドイツやイギリスからの体温計の輸入が途絶え、良質な国産体温計が医師の間で強く望まれていました。
そんな思いを受けて1921年に、テルモの前身である「赤線検温器株式会社」は設立されました。 大日本医師会会長で医学会の重鎮であった北里柴三郎博士は、優良な国産体温計の製造という当社の設立趣旨に賛同し、設立発起人として出資者の募集に協力、さらに設立総会での議長も務めました。

北里柴三郎博士
北里柴三郎博士

設立趣意書には「国民の健康向上のため、国家的事業として支援する」と書かれており、博士が当社設立に込めた医療の発展への思いがうかがえます。この思いは「医療を通じて社会に貢献する」という当社の企業理念の原点となっています。

テルモという会社

テルモ設立趣意書と体温計
テルモ設立趣意書と体温計

水銀から電子へ

1984年、テルモ予測式電子体温計を家庭向けに発売
水銀体温計と同様に使いやすく、しかも壊れにくい電子体温計の開発が進められました。そしてテルモは1983年11月病院向けに、1984年2月家庭向けに、日本で初めての「平衡温予測方式」の電子体温計を発売しました。この電子体温計は、当初約1分で予測検温できるものとして市場に広く受け入れられました。

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